イキアタリハッタリ記録

馳瀬ナルミといづみ繭子による演劇企画イキアタリハッタリを記録してみます。

前作ぶりです。

こんにちは。

今回vol3に役者で参加します、新井絢子です。

前作vol2でも役者でお世話になりました。

演出からのお達しがあったので、以下4本立てで参る所存です。

1 自己紹介 します。

あやこ とか、やことか呼ばれてます。今は心理系の大学院修士2年で、もうすぐ修了します。その後は医療系で働いていきます。が、同時にお芝居は続けています。心理士でもあり、役者でもあります。なんか、そういう感じの方が自由かなと思いました。

好きなものは、心地よい吟味された言葉と、卵料理、演劇、映画と、図画工作。嫌いなものは、人参と、軽率な言葉、低気圧です。休日は一人で映画とかカフェに行ったりします。

2 vol3に参加したきっかけを言います

vol2に参加して、主宰のはせさんといづみの作品や、演劇が立ち上がるまでの工程?に、心地よさを感じたからでした。まじめに。役者と作演が話し合いを積み重ねて丁寧に一緒に作る感じがとても好きでした。だからまたその場に居たいなと思いました。

3 演劇を始めたきっかけ

演劇は小さい頃からよく観ていましたが、中学高校と、演劇の経験はありませんでした。大学に入ったとき、目の前にある膨大な余暇の時間を埋めるため、なんとなく演劇を観に行く機会が増えました。そのときたまたま劇団おぼんろ という劇団に出会い、「こんな表現の仕方ができるのか!」と感銘を受け、自分も芝居を作りたくなったのが始めたきっかけです。だから、最初から役者になりたいとかではなく、最初は劇作したいという思いでした。

4 役者をやってて楽しいまたは好きな瞬間

うーーーーん。楽しいとか好きとかそういう感じはあまりなくて、やりたいからやるみたいな。うーん。ないものを作り上げていく瞬間、演出が求めている空間とか空気が立ち上がった瞬間とか、あー楽しいな?生きてるなと思います。役者をやってて、そういう瞬間に出会えたり、そういう瞬間を自分で作れた時に、生きてるな(たのしいな?)と感じます。

以上でした。

まだ稽古はこれからです。どうぞよしなに。

イキアタリハッタリ2020

こんにちは、いづみです。

Twitterでもチョロっと書きましたが、あらためて昨年イキアタリハッタリの劇作に関わってくれた方々、観に来てくださった方々、観てないし関わってないけどブログやTwitter見ることもあるよという方々、ありがとうございました。

引き続きイキアタリハッタリ2020をよろしくお願いします! ぜひ2020は観に来てくださいね。

 

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vol.3に向けて歩き出したよ、という写真です。座ってますが。「また3人だ」と思った方、わたしも今思いました。まあvol."3"なので…(?)

 

この写真は1/11に撮ったのですが、馳瀬さんとのLINEを遡ってみたところ、新宿のオシャレなお店(おっさんずラブのロケ地でした)でご飯して「一緒に演劇をやりましょう!」と誘ったのが去年の1/11でした。

そこから何回かご飯したりLINEしながらイキアタリハッタリを作っていったし、結成日とかも特に決めていないけど、偶然てスゴいな〜と思います。

 

情報解禁はもう少し先なのですが、3/6(金)7(土)を空けておいてもらえると、都内で楽しいもの(※解釈は人それぞれ)をお届けできるかな〜と思います!

私もまだフワフワユラユラと手探りしているのですが、暗くて幻想的でブッ飛んでて盲目的で愛情過多でコミニュケーション不全にしたいな、という気がします。星空の下で麻薬キメちゃう感じかな、という気もします。あくまで気がするだけなので気を持ちすぎないでネ。

 

Twitterでバシバシ情報を上げていくので、ぜひフォローしてみてくださいね。

 

Twitterだと情報流れちゃうな…という方は、イキアタリハッタリのLINEを登録してもらうと、公演前に案内をお送りします。

LINE登録して案内を受け取るだけなら、コチラには皆さんの情報は来ないので(今のところフォロワー数しか分かりませんね…🤔)、とりあえず登録しとこ〜くらいの気持ちでやってみるのもアリかと! もういいやと思ったら解除してもらっていいですし。わたしはすぐLINEの友だちを整理するタイプです。

ikiatari.hattari@gmail.com宛に案内を希望する旨をもらえたらメールでもお送りするので、好きな形でご活用ください。情報解禁までカミングスーン。

 

 

さて、馳瀬さんからのお題です。

Q. 2020年のスローガンを教えてください。

 

「……………………無いな」というのが正直なところです。笑

ここ1〜2年、前まで好きだったり興味のあったモノに対する気持ちが変わってきていて、その変化に馴染もうと必死なのですが。

わたしはもともと目標やスローガンを立てるのが好きで、手帳も毎年買ってくるタイプだったのに(ただし飽き性なので続かない)、お題を見て「スローガン??そんなもの無いよ???」とフツーに思った自分にびっくりしました。今年は手帳も買ってないな。

 

でも、昨日サンジェルマンでカレーパンを食べながら馳瀬さんに話したのですが、イキアタリハッタリを始めてから「自分の手の届く範囲でやれることをやる」を心がけているので、強いて言うならスローガンはそれですかね。

 

サークルでは「自分の限界を飛び越えてブッ倒れてでも劇を作れ!!!!!💥💥💥」みたいな精神でやっていたけど疲れたし、人も多いし何よりサークルだし、わたしが暴走してしまっても誰かがいてくれるという感覚があった気がします。当時は必死で気付かなかったけど。

今は馳瀬さんとイキアタリハッタリを運営していて、毎回スタッフに助けてもらっているとは言え構成員が2人しかおらず、色んなことを役割分担しているのでわりとカツカツだったり。

劇を作ってお金を頂くという重みも、毎回オファーしたり募集したりして参加してくれる役者スタッフへの責任も感じたり。

「ここで私が背伸びして暴走してしまったら誰が止められるんだ…?」という不安がよぎって、わりと慎重になっている、かもしれません。

 

それは馳瀬さんや参加者への信頼とはまったく別の話で(まったく関係ないですよ!)、自分のいる場所の形態が変わったからだと思います。

何十年も続いていて、公演を打つ時期も場所も決まっていて、色々起こるとはいえ上の人達が過ごした4年間を自分達なりになぞっていくようなサークルと、何もかも自分達でお金を出して決め合って進めなければならないイキアタリハッタリは、演劇をつくる土台が全っ然違うんだな〜、ということを去年ぽやぽやと感じていて、ようやく今、言葉にして自分の中に収まった感じがします。

 

あとはイキアタリハッタリに慣れたいですね。目標なのか分からないけど。

イキアタリハッタリそのもの、馳瀬さんと色々話して決めていくこと、人と関わること、演劇をつくること、つくることを続けること、続けることが生活の一部になること、その生活を続けること。

新しいことに慣れるのに時間がかかるクセに飽き性なもんで、慣れてくると今いる環境をブチ壊して、四苦八苦しながら新しい環境に慣れるということをやりがちなので、ブチ壊さずに馴染んでいきたいですね。

 

2020年も、無理せず、背伸びせず、暴走せず、自分を超え過ぎずに、演劇を作っていきます。

まずはvol.3です。

次回は役者が書くのでお楽しみに。

2019年よさよなら

こんにちは、馳瀬です。去年の三倍くらい12月の過ぎ去るスピードが速く感じて怖いです。あっという間に大晦日になっちゃった。

 

Q.2019年を振り返って、漢字一文字で表すと?

 

2019年は……自分のTwitterのプロフのところにも書いてるんですけど、「憧れは捨ててお前はお前を作れ👊」合言葉にして来たのですが、今年はほんとにそんな感じにわりと自由な気持ちで生きれたな〜と思います!

 

去年は「今の自分は嫌で、ああなりたいから嫌なことでもがんばろう」精神でやってたこととかもあったのですが、やっぱりやなことはやなまんまで、自分は自分にしかなれないなあとはっきりと悟った年だったかもしれません。

 

なので、「今年は絶対やなことはやらない!やなことは嫌だと言うし、すぐ辞める!楽しいことを率先してやる!」と決めたら、けっこううまく行った気がします。好きこそものの上手なれ、とはいかないまでも、好きなことはやりたいので、ちゃんと実行できるので、やりたくなくてうだうだ時間を使ってしまうこともなく、「形にできる」「完成できる」というところがいいのではないでしょうか。気付き。

 

今年はイキアタリハッタリで公演を二回打てたのも、やりたいことだったからだし、それに、いっしょにやってくれる人がいるというところがいいプレッシャーになるので、いづみといっしょにできてよかったです。公演に参加してくれたメンバーにもとっても感謝です!今も来年の公演に向けて一生懸命準備に走り回ってる感があるので、もう三回くらいやってる気持ちもありますが…。

 

今年は劇作って、ラップ作って、DJもやったし、アイドル応援したし、好きなことがなんだかんだいろいろできた!来年ももっと楽しいことしてふざけたいです。もっと色々作りたい!お金がたくさんあればいいのに!!

 

来年も楽しいことをがんばってやりたいです。

 

漢字一文字で表すと、、「捨」かも。いらないかな〜というものは捨てて、今は多少身軽かも。来年も、いらないものは捨てつつ、欲しいものはしっかり拾って、いい持ち物をたくさん増やしていきたいです。

 

Q. 2020年のスローガンを教えてください

 

目標とか、スローガンを教えてください!

わたしも決めよ〜。

来年も、演劇やるので、ぜひぜひ、見に来てください!楽しいものを作ります〜(エンタメは人それぞれ)。

 

それでは皆さま、2020年でお会いしましょう……

夢の終わりを見たい

こんにちは! 主宰のひとり、いづみです。
昨日ブログ書くとツイートをしたら見事に寝落ちしました。さすが有言不実行に定評がある私。

気付けば12月に入って1週間も経ちましたね…。一昨日イチョウをしゃくしゃく踏んで、まだまだ11月っぽいな〜と思ったところなのに、暦はきっちり進んでいて、うまく馴染めない。
12月最初の日曜日に、バチバチの高熱を出して寝込んだせいもあるかもしれませんね…マジで死んだように寝ていたので、12月に入りたての記憶がない…。

どうにか熱は下がり、社会復帰し始めました。馳瀬さんがつぶやいていたけど、vol.3の劇場下見も進んでますよ。ドムドムバーガーもっかい食べたい。

 

さて! 馳瀬さんからの質問。

Q. 小さい頃の将来の夢はなんだった?

イロイロ思い出してみたんですけど、将来の夢は小学生の頃からず〜っと「小説家」でした。とにかく本を読むのが好きで好きでたまらなかった。

小学生の時なんてランドセルにハリーポッターの下巻を入れて、上巻は手で持って読みながら学校に行って、授業中も休み時間も読み続けて、帰り道は下巻を読みながら帰ってくるというのをやってました。よく事故に遭わなかったなと今思う。

いつの間にか演劇をやってるけど、小説家の夢を捨てたり諦めたりした感覚は全然なくて、宙ぶらりんになってるな…ということにも気付きました。
私が今、演劇をやっていることに満足していて「演劇が私の夢!!」と思っていれば、この夢は終わったってことなんだろうか? 夢の終わりは別の夢を見ること?? でも私は今、なんの夢も見ていないから、まだ続いているの??? 考えすぎてわからなくなってきた!!!

(逃亡)

将来の夢について思い出していて、もいっこ気付いたのは、私はあんまり未来を夢見るタイプの子供ではなかったということです。
なりたいものは沢山あったけど、どれも「今すぐなりたいもの」であって、「将来なりたいもの」ではなかった。しかも実在の人物とか具体的な職業よりも、物語に登場する人たちになりたかった。

青い鳥文庫の『ホーリースクール』という本が好きだったのですが、主人公のかりんちゃんは同居するおばあさんと折り合いが悪く、自分が本当の娘ではないことを知り、全寮制のフリースクールに通い始めるという話でした。かりんちゃんはカメラを始めたのをきっかけにプロカメラマンである実のお父さんと繋がって、ライカというカメラを譲り受けます。

そのライカが欲しくて欲しくてたまらなくて、親に駄々を捏ねた覚えがあります…。
「将来カメラマンになりたい」「いつかカメラをやりたい」と思っていたのではなくて、「今すぐかりんちゃんになりたいからかりんちゃんのライカをよこせ(そして私をかりんちゃんにしろ)」という感じで暴れていましたね…。
それも「今すぐなれないなら要らな〜い」と駄々を捏ねるのはやめました。私は現実よりもフィクションが大事だったので(今も大事なので)、「どんなに駄々を捏ねても私はフィクションの中の人にはなれないんだ………」と気付いて夢が終わるのは結構ショックでした。ずっとホグワーツからの手紙を待ってたのにな(動物や鳥が嫌いなのでフクロウで来たらどうしようと真剣に悩んでいた)。

こんな感じで、将来の夢としてわりと本気度が高かったのは小説家くらいですね。いつかこの夢を昇華させるか埋葬するかして、終わりを見てやろうと思います。

 

次は馳瀬さんのターンです。もしや年内最後の更新?と思ったので、質問はこれ。

Q.2019年を振り返って、漢字一文字で表すと?

今年はイキアタリハッタリ爆誕イヤーだったので色々聞けたり聞けなかったりするかもしれませんね。おたのしみに。

vol.2の感想・演じる喜び(嘘)【演劇論あるある】

こんにちは、主宰の馳瀬です。

 


イキアタリハッタリvol.2終演から二週間以上経ってしまいました。11月、めちゃくちゃあっという間に感じます。

ご来場頂いたみなさま、本当にありがとうございました!

 

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vol.1では作演出や裏方をやっていましたが、とても久しぶりに舞台にたって、役者として劇作に参加しました。役者をがんばってたときもあったので経験はありますが、徐々に役者へのやる気や興味が減ってしまった状態だったので、「ほんとにわたし、役者やれるのかな?やるのかな?」とふわふわした気持ちで、不安なままスタートを切りましたが、なんとか無事終えることができました。

 


会場で販売した台本のおまけにも、質問に答える形式で今回の劇や稽古などに触れましたが、それを書いたのは本番二週間程前のことだったので、終えた後に思ったことなどを書いてみたいです。

 

 

 

やってみて、まずとにかく、上演は30分なのに、変に疲れる。

これはなんでなんだろうと、3回目くらいで気づいたんですけど、毎回わたしたちは、違う相手と対話しないといけないからなんです。

 


この劇は、自分の話を売りに来た人(役者2人)と、他人の話を買いに来た人(観客)の話なんです。だから、役者が対話してる相手は、基本的には観客。その回の観客の反応や空気によって、わたしたちの話し方が変わるのも当たり前だし、というか変わらなかったらそれは上滑りな下手な芝居になってしまう。嘘の会話だというのが丸わかり。だから毎回初めての対話を繰り返さないといけない。

 


そういうのって、演劇的にはほんとは当たり前なんだけど。「毎回初めて聞いたという反応をし、それに初めてで返す」、というのが演じる上で基本的なことなんだけど、でもそれを、稽古で何度も練習して、演出と役者でチューニングしていくじゃないですか。なのに、そのチューニングを、毎回すぐに気付いてこちらでうまく変えないといけない。対話相手が役者なら、「この後こういうふうになっていきたいから、この台詞を聞いたらこの反応をする」ということを予め決めておけるけど、そういったこともコントロールができない。役者にも、演出家にも。

 


これは、すごい劇になったぞ、と公演期間中初めて気づきました。

稽古場で何度繰り返しても拭えない不安というか、何かが足りないという感じは、これだったのか、観客という対話相手がいなかったことだったのか、と気づきました。わたしたちは、一度もこの劇のリハーサルをできていない状態だったのだ。

 


けれど、それは逆に、「実際には同じことを繰り返し行なっているのにあたかも今初めてである、ように見せる」という仕事が半分になる、ということでもありました。

「基本的なことだけれどこれが役者をする上で、いちばん難しいよ、どうなってるの!?」とわたしはいつも思っているのですが、それが半分解消されたのです。役者がしょいこむ嘘がひとつ減ったのです。わたしたちは、毎回違う対話相手に、初めての反応をするだけでいいんです。だから、絶対に完全な予定調和にはならない。やるほうとしては予定調和のほうが安心はできるけど。劇としての予定調和はみていて気持ちが悪い。

だから、本当に、毎回少しずつ、お客さんに与える印象が違っていたかもしれません。もしくは、毎回違うことをしていたのにも関わらず、ぴったり同じ印象を与えていたのかもしれません。

 


そういった空気を無意識に感じねば!とピンと神経を張り詰めて舞台に立っているような、でもそういう相手の反応とか空気を感じて対峙するって、いつもの生活でやっているし、別に気を張ってなくてもできることだからリラックスもしていたような。それにしても、こんなに毎回違う空気を感じるとは思いませんでした。

 


正直、初回の金曜19:30からの回が、いちばん予想していた反応をもらいました。

お客さんがいちばん多く来てくれた回だったのもあったかもしれませんが、反応がすごく大きかったんです。みんな無言で静かに座ってたのにね。とくに、バーコードについて話す女の胸にいいねの数字が表示されたとき。あそこで、お客さんが「グッ」と前のめりになった気を感じました。あまりにもだったので、終演後裏ですぐ話したら、やこちゃんもるってぃも「わかる!」と言ってくれました。そのあたりから、お客さんもこのどうしようもなさにズブズブと沈んでいってくれているな、というのをいちばん感じました。

 


二回目は土曜の11:30からで、この回をやって、初回の特異さに気付いたんです。「あれ、お客さん遠いとこから見てるな〜」って思って。

この回は換気扇や空調が全部切ってあって、劇場内がとっても静かでした。お客さんもぎゅうぎゅう詰めではなくて余裕があって、わたしたちの声がピーンと響いて。

それに、同じ地下の劇場で、明かりは漏れないはずなのに、なんとなく、昨日やった暗さが足りない。なんでかわからないけど、照明の赤っぽさが際立つような。なんとなくのあったかさがあるような。そこで語られるどうしようもなさも、また救いのなさが強調されていると言えるんですけど、これは昨日とは違うぞ!となりました。話したときの反応の薄さで、わたしはさらにわかって欲しいと前のめりになったり、逆にこの人たちのトーンに合わせて話さなければ誰もわたしの話を聞いてくれないぞと思ったり。

 


いつかの回は最前列にお客さんがいなかったり。そうすると、すごく圧迫感が減るんですよね。その後ろの列からはわりとお客さんが並んでくれているのに、でも舞台から少し離れたところにいる顔が薄暗い人たちからは「話を聞いてやるぞ」という圧が薄まる。位置でも違うのにもびっくり。

 


フライヤーのような、夜の街の冷たさにある、それでもどうしようもない生活、みたいなイメージがいちばん発揮できたのは、やっぱり19:30の回だったねえ、といづみとも話しました。17:00の回でもその効果は足りなかった。20:00開演ですらよかったくらい。前回のブログでも書きましたが、仕事や学校で疲れて暗い道を歩きながら劇場について見る、というのが、コンディションとしてはいちばんオススメでした。

 


でも、時間だとか、お客さんの疲れ具合とか、そういうのすらも劇の効果になったり、実際にそういう感じ方になったり、これも前のブログにも書いたんですけど、ほんとにいろんなもの(いらないものまで)取り込んだアート体験だったのではないかと、勝手に思っています。そしてそれはこの劇に限らず、本当はどんな劇にも、どんな映画や小説や音楽などにも当てはまることなんだよなあ、とわたしはすごく実感しました。この曲、何度もいろんな場面で聴いてるはずなのに、あのとき聞いた場面ばかり思い出すなあ、というのも、それと似たようなことなのかな。音楽だったら自分の好きなタイミングで聴けるけど、演劇は観られる時間が限定的だから、とても難しい問題だなあ、と思いました。

 


それともう一つ気づいたこと。

少し話が戻るのですが、観客相手に対話をするということは、毎回現実に初めてのことをするので演技をする必要がない点で容易である、ということなのですが(ということを上でちゃんと書けてるか心配)、この「観客相手に」している、という点は、ほんとはどの演劇にも言えることだと思ったのです。

よくそういうのって言いませんか?お客さんの反応を見なさい的な。それを、ほんとに見て、さらに返していたのがこの劇なのですが。でもそれって、どんな劇でも、演技の何%かに組み込んでおかないといけないのかな?という話です。

 


舞台上での対話だとしても、お客さんのことを全く無視していたら、お客さんにそれはお客さんに伝えらているものではない。お客さんに舞台上のこの人と対話をしています、という発信をして、それを受け止めてもらわなければならない。受け止めてるかどうかを、発信しながら確かめて、もし受け止めてないなら何かのチューニングがお客さんとずれているということだから、合わせないといけない。みたいな。なんとなくよく聞く演劇論だなあと思ったのですが、一理あるような、ないような、だからなんだという結論になってしまうのですが。

 


あと、第三の壁(お客さんと舞台の間にある、見えない壁)的なものも。そこをウチらは今回完全にぶっ壊してたのではないでしょうか?ズカズカと、「あんたはウチらの話を買いに来た人でしょ?」と、この劇の登場人物にされてしまう。ヒーローショーで舞台上に上がりたくて手を挙げたわけでもないのに、目があったから悪役にこっちに来い!と指名されるよりも厄介でしたよね。それとも、絶対に舞台の上に立ちたくないから、「あなたたちの話を買いに来たわけではなく、単に演劇を見に来た者です」と対話を断ち切っていたのか。意識的にも無意識にも、普段演劇にある壁を、感じたのではないかなあ、という気がします。

 


そんな感じで、稽古とやってみるでは気づくことが全然違って、上演して初めて本質が現れる劇でした。なんかすごいね?って、役者として劇を作って思いました。役者側はそんなことを思ってたけど、実際自分ではあのプロジェクターとか、誘導灯振り回したり、バーコードリーダーを打ち続けたりしているところを見てないので、どんな印象を与えてたのかはあんまりわかっていません。ですが、感想を読むと、いろんな人がわたしたちが思ってたことを感じてくれたり考えてくれたり、たぶん全然わかんなかったってことを考えてくれたり。おもしろいなあと思いました。

 


あと、るってぃが思ったより嫌なやつに映ってるのが(「ほんとの本人はやなやつじゃなさそうな感じも少し出ていた」みたいな感想がいくつかあったのも)おもしろかったです。

そんなるってぃの書いてくれた感想もあっておもしろいので、ぜひ読んでみてね。

https://note.com/ruto_wa_rudo/n/n45731009569a

 

 

 

ということで、役者をやってていろいろ発見があって、楽しかったです!でもやっぱり役者は難しいと思った!今回のような形式だったので、なんとかやれたという感じも強いです。

なんだかめちゃくちゃ演劇論的な話になったけど、この話は「演劇論」ではなくて、「演劇論あるある」です。

 


次回vol.3に向けての脚本を考えているのですが、だいぶまとまってきました。

せっかくいづみ演出なので、いつもと違うようならこともしたいです。自分の書いたものを誰かに演出してもらうのは初めてです。ドキドキ。

 


めちゃくちゃ書いてますが、いづみの質問にも答える。

 


Q.劇をつくるモチベーションは何ですか?

 


劇を作るモチベーションは、レボリューションですね。今ここに、あなたにレボリューションを起こしたい。わたしの発見を言わずにいられない。こんな発見したからレボリューションを起こさざるを得ない。って感じかも。そうじゃん?って言いたいし、できたら共感してほしい。「わかるわかる」、でも「そうなのかもしれない」でも、深度は人それぞれでいいんだけど。常に「人生あるある早く言いたい」状態。それを伝える方法に、わたしには演劇がいちばん効果的だと思ったので。そして何か作れる場があるぞ、ということが毎日バイトに向かうわたしのモチベーションになっています。最近はそんな感じかも。

 


いづみへの質問

Q. 小さい頃の将来の夢はなんだった?

 


わたしは保育園児のとき短冊に「セーラームーンになりたいな」って書いた写真と、イチゴ狩り屋さんになったところを書いた絵があります。これはたぶんわりと本気度が高めのやつ。それより上の歳になってから?の誕生日の本にも将来の夢を書く欄があって、そこには「宇宙飛行士」って書いてあったけど、それは「将来の夢の定番といえば」から選んでみただけの答えです。将来の夢なんて思い浮かばなかったから、なんて書くのが正解かわかんなくて、正解っぽいと思うことを書いただけで、なんの志もないな、と後から見返して思いました。

vol.2を終えて

こんばんは、いづみです。なんだか眠れなくて、こんな時間の更新になってしまいました。


改めまして、vol.2『どう死ようもない』にご来場頂いた皆さま、気にかけて頂いた皆さま、誠にありがとうございました。
感想はすべて、アンケートもSNSも読ませて頂きました。共感したも分からなかったも、どれも嬉しかったです。大事に心に留めておきます。ありがとうございます。
劇を終えて、ブログを書こうと思ったのですが、語りたいことが何もないということに気付いて、ずるずると更新が遅れてしまいました…すみません。頑張って書きます。


台本(買ってくれた方々ありがとうございました!! めちゃくちゃ嬉しかったです)に書いたのですが、この劇は「観客が舞台上の役者を(無意識に)消費してるのキモチワルイ」という所からつくり始めました。

だから、消費する/されるとは何か、記憶を塗り替えるとは何か、といったことを女たちに語ってもらいましたが、「役者が何か話さないといけないな」と後から当てはめたことなので、この劇の大事な要素を担っているけれど根幹ではないと私は思っています。

登場する人達を変えれば、同じ形式でまったく別の物語になります。それこそコメディもつくれちゃう。
いつか、私じゃない誰かが書いてくれたものを観てみたいなあと、ほんのり思います。


私は、人と人は分かり合えないと信じています。分かり合える時もあるけれど、コミュニケーションの根本には分かり合えなさがある。それが絶望にも救いにもなる、はず。
こういうことを書くと「寂しい人…」と思われそうですが、私には「分かり合えるよ!!」とキラキラした目で言ってくる人のほうが怖いです。たった今、分かり合えていないことを分かっていない人が、分かり合えるとどうして信じられるの?

それに、絶対に誰にも分からない部分が自分や相手の中にあるのって、寂しいけれど安心もする。
私は、自分や現実や未来に絶望して泣く時、悲しくてしんどくてたまらないのに、同じくらい満ち足りているような、不思議な気分になることがたまにあります。たまに泣きながら微笑んでいる。(コワ…と自分でも引きました)

だから、「人と人は分かり合えない」と信じているけれど、諦めている訳ではなくて、その上で分かってほしいと思うから創作しているんだと思います。


『どう死ようもない』の感想を読んでいて、「分からなかった」「難しかった」という言葉に私は安心しました。うまく言えないけれど、私の言葉が届かない人が世界にはちゃんといるのが分かって、また届けたいと思えた、というか。
つまらない劇を観た時って「は?つまんな」と思ってスっと忘れたり、逆にいつまでも残ったりしますが、難しい劇だと「分からない私がダメなのか…?」みたいに落ち込むことがあります。SNSで感想を探して、皆がイイネしたり語ったりしているのを見ちゃうと特に。

もし『どう死ようもない』を観てそう思った人がいたら、大丈夫です。あなたが分からない、難しいと思ったことに、私は安心させてもらいました。あと今回の目的は分からなくさせることではなかったので、私の未熟さが出てしまったのを反省しています。
よければまた、観に来てください。私が脚本を書くのは当分先になると思いますが、いつか。


ザ個人的なことを書かせてもらうと、劇をつくるモチベーションを保つのが今回めちゃくちゃ大変でした。あまりに保てなくて、悩みまくって、漫画『ちはやふる』を読み直して(?)、心に周防名人を置いてつくったほどでした。
今もモチベーションはぐらぐらしたままで、vol.3に向けてこれじゃあアカンぞ…と何とか足掻いているところです。また演劇を観に行こうかな、と思えたので行ってみます。


馳瀬さんに質問です。
Q.劇をつくるモチベーションは何ですか?


Twitterで「原動力になるものは人それぞれ違うから、自分の原動力を知っておくといい」みたいなことを読んで、なるほどなあと納得して考えてみたけれど、私の中にはプラスの感情がありませんでした。
「楽しい」や「好き」はモチベーションに繋がりにくくて、むしろ「重たすぎる責任感」や「アイツに負けたくないという意地」があると奮起しやすいタイプなんだと思います。友達には「特攻隊みたいな精神で演劇やってるよね」と言われたことがあります。(最近はそれすら効かなくなってきて困ってるんですけどね!)
愛・地位と名誉・金の中なら迷わず愛を選ぶ馳瀬さんは、何をモチベーションにして劇をつくっているのか教えてください。ちなみに私は地位と名誉が欲しいです。めっちゃ欲しい。


次はvol.3ですね。なんと馳瀬さんが脚本、私が演出を担当します。タッグを組むというやつです。
このあいだ2人でご飯を食べて、その後も出身サークルの稽古場にお邪魔した日に後輩と3人でご飯を食べて、また明日も食べるけれど(なんか仲良しみたいでウケる)、毎回「わ〜vol.3どうしよ!」と話しています。

たぶん、あくまでたぶん、私は「まあ今回馳瀬さんが脚本書くしvol.2より気が楽だな」と思っているし、馳瀬さんは「まあ今回いづみが演出付けるしvol.1より気が楽だな」と思っている。お互い、気が楽だな〜と思いながらわ〜どうしよ!となっている、気がする。


脚本だけ書くのも、演出だけ付けるのも、この2人でタッグを組むのも、初めてだらけのvol.3は、今までよりもドキドキします。馳瀬ファンに「なんだよあの演出!」と怒られたらどうしよう、とソワソワもします。ぽつぽつ情報を出していくので、どうぞよろしくお願いします。

 

おやすみなさい。

たぶん気候とかもいづみの演出です

すっかり秋になってしまいました。

気づいたらブログの更新が一ヶ月(!!!!??)空いてしまいました。忙しいるってぃに変わって馳瀬が書いています。

 

なんとなんと、舞台の本番が、次週(!!????????!!!!!)になってしまいました。一瞬で10月も終わってしまいましたね。この間、「2019年は季節を感じる年にするのを課題にしてる」という話をしていて、夏頃から疎かになっていたな…と気づきました。

 

■■

1月は実家に帰っておせちとお雑煮を食べ、熱田神宮へ初詣。

2月は浅草で節分祭り。

3月4月は、お花見に目黒川。

5月6月は…vol.1の稽古と本番などで忙しくして…。

7月8月は…帰省したけど、お盆と少しだけずれてて…お墓参りもしてないし……。あ、カラオケに行って夏の歌で盛り上がったり、夏のプレイリストを作って聴きまくった!

9月10月は、ほんとにな〜んにも、栗食べたり梨食べたりでもいいのに、してない。長い雨や台風を感じただけでした。

■■

 

今日から11月、頭の中がもうクリスマスでいっぱいなのですが、もう少し、秋らしいことをしたいところです。

 

年末は好きなのですが、日が短いのが苦手というか、嫌いというか、苦手というか。

15時頃から夕方の雰囲気が漂い始めるのが苦手です。アンニュイすぎる。アンニュイ、嫌いじゃないけど、苦手。今、アンニュイって、なんとなく意味わかるけど、何?と思って検索したら、「退屈。倦怠」だそうです。

 

倦怠な空気にぐおーっとくるまれてしまう。15時16時の夕暮れは、優しいような悲しいような感じがしませんか?そういうのが楽しめるのって、ほんとに精神が安定してるときだけっていうか、もたれかかれる・安心できるときだけっていうか。嫌いじゃないけど、それにやられちゃいたくない。アンニュイだと、疲れちゃう。倦怠だからね…。

 

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6月頃撮った、アンニュイな感じのバラ。

 

と、いっても、ほんとはそういうのが好き。好きだから、これ以上やられると過剰摂取になっちゃう。わたしは実は普段からアンニュイなので、夏のギラギラパーリーな空気の中にいるのがちょうどいいんです。夏にアンニュイな映像見るのがいちばん。

 

で、『どう死ようもない』なんですけども。11月にぴったりすぎる。これは、わたしのようにアンニュイな人には、やや、過剰摂取とも言えるかも…、という具合です。

金曜の回は、19時30分から。仕事や学校帰り、少し疲れて暗い中劇場までの道を歩いて、見終わって外に出る、遣る瀬無さを想像します。

土日の11時30分からの回は、まだ朝の空気が残る中劇場まで歩いて、見終わって外に出たら少しだけ暖かくて、お腹が減ってるのになんとなくご飯をすぐ食べる気にもなれないような気持ちになりそう。

14時30分からの回は、ちょうどいい気候の中劇場へ歩いて、見終わったらもう夕方で、その後何をしようと思っていたか忘れてしまうような。

17時30分からの回は、劇場に着く頃にはもう少し暗くなっていて、見終わって外に出たらすっかり日が落ちて夜になった空気に埋没してしまうような。

 

わたしが観客だとしたら、そんなふうになるんだろうなあと想像します。全部晴れの日の想定だけど。晴れるといいな。

11月の気候と太陽すらも、劇の一部なのでは、と思わされるような、そんな劇を上演します。

 

小演劇って、小さな場所で、ほんとに、人知れず、知れたほうがいいけど、たくさん上演されては終わっていて、「儚い」と言っても過言じゃないような。不思議ですよね。この世でこんなにコソッと行われていて、コソッとじゃないほうがほんとはいいんだけど、でもそのコソッと感も、魅力だな、と思わされる劇だと思います。季節すらも取り込む体験型アートだと、わたしは思っています。

 

一回の席数が少なくて、とても小さな劇場で、コソッと、上演します。ここに辿りつくのは、気づいた人だけ。ぜひ、買いに来てください。

 

 

 

 

 

 

席が少ないので、ぜひ予約してね。

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSePKEHw2KdLq2_NJ88EOjRAHJ_X3wPnTZj9nKfnxhyaU9Q5eA/viewform

 

 

 

 

 

⬇︎詳細です。

 

2019/11/08 (金) ~ 2019/11/10 (日)

@東中野バニラスタジオ(Vanilla Studio)


出演
新井絢子、高根流斗、馳瀬ナルミ


脚本・演出
いづみ繭子


チケット
一般:1500円
SNS割・グループ割:1200円


タイムテーブル
11月8日(金)19:30
11月9日(土)11:30/14:30/17:30
11月10日(日)11:30/14:30/17:30


いきるのがしんどい。

「かわいい女子ランキングで下から4番目でした。それ以来、バーコードリーダーが怖くてたまらないんです」
「誘導灯が大好きです。よく思い出を整理するのに振ってるんですけど、その先って何があるんですかね?」

やっぱり死んどいな。

若さも美しさも死ぬことすらもぱくぱく消費されちゃうし、してきたし、どうせならこの惨めさも売ってしまいたい。

わたしたちのどう死ようもない話、買ってください。