イキアタリハッタリ記録

馳瀬ナルミといづみ繭子による演劇企画イキアタリハッタリを記録してみます。

vol.2の感想・演じる喜び(嘘)【演劇論あるある】

こんにちは、主宰の馳瀬です。

 


イキアタリハッタリvol.2終演から二週間以上経ってしまいました。11月、めちゃくちゃあっという間に感じます。

ご来場頂いたみなさま、本当にありがとうございました!

 

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vol.1では作演出や裏方をやっていましたが、とても久しぶりに舞台にたって、役者として劇作に参加しました。役者をがんばってたときもあったので経験はありますが、徐々に役者へのやる気や興味が減ってしまった状態だったので、「ほんとにわたし、役者やれるのかな?やるのかな?」とふわふわした気持ちで、不安なままスタートを切りましたが、なんとか無事終えることができました。

 


会場で販売した台本のおまけにも、質問に答える形式で今回の劇や稽古などに触れましたが、それを書いたのは本番二週間程前のことだったので、終えた後に思ったことなどを書いてみたいです。

 

 

 

やってみて、まずとにかく、上演は30分なのに、変に疲れる。

これはなんでなんだろうと、3回目くらいで気づいたんですけど、毎回わたしたちは、違う相手と対話しないといけないからなんです。

 


この劇は、自分の話を売りに来た人(役者2人)と、他人の話を買いに来た人(観客)の話なんです。だから、役者が対話してる相手は、基本的には観客。その回の観客の反応や空気によって、わたしたちの話し方が変わるのも当たり前だし、というか変わらなかったらそれは上滑りな下手な芝居になってしまう。嘘の会話だというのが丸わかり。だから毎回初めての対話を繰り返さないといけない。

 


そういうのって、演劇的にはほんとは当たり前なんだけど。「毎回初めて聞いたという反応をし、それに初めてで返す」、というのが演じる上で基本的なことなんだけど、でもそれを、稽古で何度も練習して、演出と役者でチューニングしていくじゃないですか。なのに、そのチューニングを、毎回すぐに気付いてこちらでうまく変えないといけない。対話相手が役者なら、「この後こういうふうになっていきたいから、この台詞を聞いたらこの反応をする」ということを予め決めておけるけど、そういったこともコントロールができない。役者にも、演出家にも。

 


これは、すごい劇になったぞ、と公演期間中初めて気づきました。

稽古場で何度繰り返しても拭えない不安というか、何かが足りないという感じは、これだったのか、観客という対話相手がいなかったことだったのか、と気づきました。わたしたちは、一度もこの劇のリハーサルをできていない状態だったのだ。

 


けれど、それは逆に、「実際には同じことを繰り返し行なっているのにあたかも今初めてである、ように見せる」という仕事が半分になる、ということでもありました。

「基本的なことだけれどこれが役者をする上で、いちばん難しいよ、どうなってるの!?」とわたしはいつも思っているのですが、それが半分解消されたのです。役者がしょいこむ嘘がひとつ減ったのです。わたしたちは、毎回違う対話相手に、初めての反応をするだけでいいんです。だから、絶対に完全な予定調和にはならない。やるほうとしては予定調和のほうが安心はできるけど。劇としての予定調和はみていて気持ちが悪い。

だから、本当に、毎回少しずつ、お客さんに与える印象が違っていたかもしれません。もしくは、毎回違うことをしていたのにも関わらず、ぴったり同じ印象を与えていたのかもしれません。

 


そういった空気を無意識に感じねば!とピンと神経を張り詰めて舞台に立っているような、でもそういう相手の反応とか空気を感じて対峙するって、いつもの生活でやっているし、別に気を張ってなくてもできることだからリラックスもしていたような。それにしても、こんなに毎回違う空気を感じるとは思いませんでした。

 


正直、初回の金曜19:30からの回が、いちばん予想していた反応をもらいました。

お客さんがいちばん多く来てくれた回だったのもあったかもしれませんが、反応がすごく大きかったんです。みんな無言で静かに座ってたのにね。とくに、バーコードについて話す女の胸にいいねの数字が表示されたとき。あそこで、お客さんが「グッ」と前のめりになった気を感じました。あまりにもだったので、終演後裏ですぐ話したら、やこちゃんもるってぃも「わかる!」と言ってくれました。そのあたりから、お客さんもこのどうしようもなさにズブズブと沈んでいってくれているな、というのをいちばん感じました。

 


二回目は土曜の11:30からで、この回をやって、初回の特異さに気付いたんです。「あれ、お客さん遠いとこから見てるな〜」って思って。

この回は換気扇や空調が全部切ってあって、劇場内がとっても静かでした。お客さんもぎゅうぎゅう詰めではなくて余裕があって、わたしたちの声がピーンと響いて。

それに、同じ地下の劇場で、明かりは漏れないはずなのに、なんとなく、昨日やった暗さが足りない。なんでかわからないけど、照明の赤っぽさが際立つような。なんとなくのあったかさがあるような。そこで語られるどうしようもなさも、また救いのなさが強調されていると言えるんですけど、これは昨日とは違うぞ!となりました。話したときの反応の薄さで、わたしはさらにわかって欲しいと前のめりになったり、逆にこの人たちのトーンに合わせて話さなければ誰もわたしの話を聞いてくれないぞと思ったり。

 


いつかの回は最前列にお客さんがいなかったり。そうすると、すごく圧迫感が減るんですよね。その後ろの列からはわりとお客さんが並んでくれているのに、でも舞台から少し離れたところにいる顔が薄暗い人たちからは「話を聞いてやるぞ」という圧が薄まる。位置でも違うのにもびっくり。

 


フライヤーのような、夜の街の冷たさにある、それでもどうしようもない生活、みたいなイメージがいちばん発揮できたのは、やっぱり19:30の回だったねえ、といづみとも話しました。17:00の回でもその効果は足りなかった。20:00開演ですらよかったくらい。前回のブログでも書きましたが、仕事や学校で疲れて暗い道を歩きながら劇場について見る、というのが、コンディションとしてはいちばんオススメでした。

 


でも、時間だとか、お客さんの疲れ具合とか、そういうのすらも劇の効果になったり、実際にそういう感じ方になったり、これも前のブログにも書いたんですけど、ほんとにいろんなもの(いらないものまで)取り込んだアート体験だったのではないかと、勝手に思っています。そしてそれはこの劇に限らず、本当はどんな劇にも、どんな映画や小説や音楽などにも当てはまることなんだよなあ、とわたしはすごく実感しました。この曲、何度もいろんな場面で聴いてるはずなのに、あのとき聞いた場面ばかり思い出すなあ、というのも、それと似たようなことなのかな。音楽だったら自分の好きなタイミングで聴けるけど、演劇は観られる時間が限定的だから、とても難しい問題だなあ、と思いました。

 


それともう一つ気づいたこと。

少し話が戻るのですが、観客相手に対話をするということは、毎回現実に初めてのことをするので演技をする必要がない点で容易である、ということなのですが(ということを上でちゃんと書けてるか心配)、この「観客相手に」している、という点は、ほんとはどの演劇にも言えることだと思ったのです。

よくそういうのって言いませんか?お客さんの反応を見なさい的な。それを、ほんとに見て、さらに返していたのがこの劇なのですが。でもそれって、どんな劇でも、演技の何%かに組み込んでおかないといけないのかな?という話です。

 


舞台上での対話だとしても、お客さんのことを全く無視していたら、お客さんにそれはお客さんに伝えらているものではない。お客さんに舞台上のこの人と対話をしています、という発信をして、それを受け止めてもらわなければならない。受け止めてるかどうかを、発信しながら確かめて、もし受け止めてないなら何かのチューニングがお客さんとずれているということだから、合わせないといけない。みたいな。なんとなくよく聞く演劇論だなあと思ったのですが、一理あるような、ないような、だからなんだという結論になってしまうのですが。

 


あと、第三の壁(お客さんと舞台の間にある、見えない壁)的なものも。そこをウチらは今回完全にぶっ壊してたのではないでしょうか?ズカズカと、「あんたはウチらの話を買いに来た人でしょ?」と、この劇の登場人物にされてしまう。ヒーローショーで舞台上に上がりたくて手を挙げたわけでもないのに、目があったから悪役にこっちに来い!と指名されるよりも厄介でしたよね。それとも、絶対に舞台の上に立ちたくないから、「あなたたちの話を買いに来たわけではなく、単に演劇を見に来た者です」と対話を断ち切っていたのか。意識的にも無意識にも、普段演劇にある壁を、感じたのではないかなあ、という気がします。

 


そんな感じで、稽古とやってみるでは気づくことが全然違って、上演して初めて本質が現れる劇でした。なんかすごいね?って、役者として劇を作って思いました。役者側はそんなことを思ってたけど、実際自分ではあのプロジェクターとか、誘導灯振り回したり、バーコードリーダーを打ち続けたりしているところを見てないので、どんな印象を与えてたのかはあんまりわかっていません。ですが、感想を読むと、いろんな人がわたしたちが思ってたことを感じてくれたり考えてくれたり、たぶん全然わかんなかったってことを考えてくれたり。おもしろいなあと思いました。

 


あと、るってぃが思ったより嫌なやつに映ってるのが(「ほんとの本人はやなやつじゃなさそうな感じも少し出ていた」みたいな感想がいくつかあったのも)おもしろかったです。

そんなるってぃの書いてくれた感想もあっておもしろいので、ぜひ読んでみてね。

https://note.com/ruto_wa_rudo/n/n45731009569a

 

 

 

ということで、役者をやってていろいろ発見があって、楽しかったです!でもやっぱり役者は難しいと思った!今回のような形式だったので、なんとかやれたという感じも強いです。

なんだかめちゃくちゃ演劇論的な話になったけど、この話は「演劇論」ではなくて、「演劇論あるある」です。

 


次回vol.3に向けての脚本を考えているのですが、だいぶまとまってきました。

せっかくいづみ演出なので、いつもと違うようならこともしたいです。自分の書いたものを誰かに演出してもらうのは初めてです。ドキドキ。

 


めちゃくちゃ書いてますが、いづみの質問にも答える。

 


Q.劇をつくるモチベーションは何ですか?

 


劇を作るモチベーションは、レボリューションですね。今ここに、あなたにレボリューションを起こしたい。わたしの発見を言わずにいられない。こんな発見したからレボリューションを起こさざるを得ない。って感じかも。そうじゃん?って言いたいし、できたら共感してほしい。「わかるわかる」、でも「そうなのかもしれない」でも、深度は人それぞれでいいんだけど。常に「人生あるある早く言いたい」状態。それを伝える方法に、わたしには演劇がいちばん効果的だと思ったので。そして何か作れる場があるぞ、ということが毎日バイトに向かうわたしのモチベーションになっています。最近はそんな感じかも。

 


いづみへの質問

Q. 小さい頃の将来の夢はなんだった?

 


わたしは保育園児のとき短冊に「セーラームーンになりたいな」って書いた写真と、イチゴ狩り屋さんになったところを書いた絵があります。これはたぶんわりと本気度が高めのやつ。それより上の歳になってから?の誕生日の本にも将来の夢を書く欄があって、そこには「宇宙飛行士」って書いてあったけど、それは「将来の夢の定番といえば」から選んでみただけの答えです。将来の夢なんて思い浮かばなかったから、なんて書くのが正解かわかんなくて、正解っぽいと思うことを書いただけで、なんの志もないな、と後から見返して思いました。